新聞の入れ方
(理想編)
新聞配達はサービス業、即ち新聞を「早く美しく正確」に読者の元へ届けることが仕事。
また、読者の要求する事は「然るべき時間に然るべきところに然るべく新聞が存在する」こと。新聞販売店・新聞配達員の思惑、事情なんか知った事ではない、新聞がちゃんと届く事だけが重要なのである。
以後書くのは、その新聞配達側の思惑(と言っても私の勝手な考え)。
然るべきところに新聞が存在する。
読者は新聞がポストにどういう風に収まっていることを望んでいるのだろうか?それはいまいちよく分からない。けれども常識で考えて「こう入っていた方がいいだろう」と言う入れ方は配達員にもある。
でも、配達員の常識と読者の常識がちと違うことだってあるかもしれない。
で、その常識のずれが表沙汰になる例。
とあるポストに配達員は新聞をちゃんと入れた(つもり)。ところがそのポストの持ち主である読者は新聞が入っていないという。配達員は新聞を「確実」に入れたと主張する。しかし読者も新聞が入っていないと主張しかえす。
そこで配達員はそのポストを見に行った、表側(新聞を入れる側)から見た限りでは新聞が抜かれずに残っている、つまり新聞がポストの途中に引っかかって残っている。配達員は「ちゃんと入っているではないか」と更に主張を続ける、しかし読者側は引かない「裏から見たら新聞は入っていなかった」と。さらに「今いれたのではないか」と続ける…
さあ、ここで最初の括弧でくくった「つもり」。配達員にしてみれば、新聞を折り、ポストに新聞を入れ、新聞が手を離れた時点で「確実に新聞はポストに収まった」と認識した。その時点でその新聞の存在が読者に分かる状態になっているかどうかは全く思考外になっているわけだ。それでも新聞が手を離れた時点で「ポストに入れた」としたのが配達員の常識である。
さて、読者側としてはどうだろうか。
冒頭に書いたとおり読者が要求するのは「然るべき時間に然るべきところに然るべく新聞が存在する」こと、この例では読者は「ポストに(然るべきところに)新聞がちゃんと分かるように入っている(然るべく新聞が存在する)」と考え、その考え通りに行動(新聞が入っているかどうか確かめる)した、しかし、新聞はその読者の行動上は発見できなかった。読者にしてみれば読者の最小限の行動で新聞が発見できる状態になっているかどうかが常識である。
つまり常識のずれ、配達員は自分の入れ方で新聞は読者が発見できるものと考えた、しかし実際は読者にはその新聞の存在が分からなかった。
こうなると配達員側の分が悪い。読者に認識できる状態にポストに収められなかったことからしてまずいのである。何でそういう状態までしか新聞を入れられなかったか…配達員が急いでいたのかもしれない焦っていたのかもしれない、または話の中でのそれで十分発見できると考えたからかもしれない。
まだ言うが、読者にはそんな配達員の思惑なんて関係無い、必要以上の行動をしないでまずは新聞の存在が確認できることだけが重要なのである。読者に新聞の存在を分からせることが出来なかった配達員の怠慢になってしまう。だから言い訳も出来ないはず。
新聞はまず、どうであれ読者にその存在が分かるようにポストに入れるなり然る場所に挟むなり置くなりしなければならない。
新聞を入れる方向、あるべき状態。
ポストの形状によって新聞を入れる方向はもちろん変えるもんだ。その方向が配達員の入れ易い方向であったり、読者の取り易い方向だったり、ポストから落ちない方向だったり。
その方向も配達員と読者の常識のずれがあるかもしれない、妥協点の一つ。
次に新聞がどのように入っているべきか。まずは新聞の存在が分からなければならない、当然読者が取り出し易いように入っていなければならない。読者としては当然の常識であるから。
でも、その常識をちょっと広げて考えて新聞の存在が分かるだけならポストに入れる必要なんか無い、読者の目に付き易いところにあればいいだけ、ということになってしまう。その考えを実行するのが元日だが、あの日はあくまで特殊な例外、配達員にも読者にもある程度の諦めがある(新聞がポストに納まらない…)。
しかしながら新聞はポストに納まっているものだと普通は考える。だからこそ新聞をポストに入れるのだが、ただ入れればいいだけではない、双方満足行くように。
まず、ポストへは完全に新聞を押し込む、収める…最低限ポストの入れ口の方から新聞が見えないようにする。これでポストの全面からは新聞が納まっているように見える(配達員が知る限り)。
ポストに新聞が入っていることを読者以外に悟られてはならないと私は考える。何故か。…心無い他人に新聞を持っていかれてしまうのである。配達員は確実に入れてきた、しかし読者は新聞が入っていないという、配達員は現場を見に行った、やっぱり入っていなかった…つまり何者かによってぬかれた、持ち去られた可能性が大なのである。
この場合も配達員は言い訳が出来ない。新聞が持っていかれるように入れてしまったところに非があるから。
もちろん、どう見たって新聞の存在が分かってしまうようなポストその他がある、それでも如何に新聞を持っていかれないようにするかを考えなければならならないのも、また配達員の役目。
で、一番手頃、というか当たり前の対策が読者以外にポストに新聞が入っていることが分からないようにする、である。
また、新聞がポストにはみ出さないように納まっていれば、突然の雨にも耐えられる。それに、雨ではない日にただ新聞をポストに「挿してくる」様な入れ方をしていると、雨の日は新聞をポストにきっちり入れなければならない、すると雨ではない日と雨の日の新聞の入れ方に差が出て来て配達に掛かる時間にも差が出て来てしまう。
雨の日、大抵は雨ではない日より配達に時間が掛かる。その差をなるべく無くす為にも普段から雨ではない日と雨の日の配達に差が出ないようにしておく。その最たるものが新聞の入れ方に天候に関係無く差を付けない、つまり普段からポストには新聞をきっちり(はみ出さないように)入れるようにしておくこと、である。
余談1。
新聞、別にポスト前面の入れ口から入れなければならないと言う事はない。要は読者に新聞がちゃんと届けばいいのであって(この辺は、読者には配達員が何をやっているのか知る由もないところが所以)配達員が読者に何ら迷惑を掛けることが無ければ自由にやって良い事だとおもう。
つまり、折込が多くて前面入れ口から新聞を入れるのは大変そうだ、しかしポストの裏側に手が届き新聞をこそから収めることが出来るではないかと言うならば、何も悩む必要はない、裏から新聞を入れておけばいい。
前面入れ口から入れることだけに執着し、新聞を傷つけぐちゃぐちゃにしながらも何とかポストに納まった、では話にならんのである。
元日なんかではポストに入らないから読者の目のつくところに挟む、置いてくるなんてのも常套手段。
かといって、今度は裏から新聞を入れることにしか目が行かなくて壁を乗り越えてまで、なんてのは論外、お馬鹿さん。
悩まないで臨機応変に対応。
余談2。
折込が多いとポストに入れにくい。ポストの開口面積にも依るが大抵そんなもんだろう。元日、金曜日、土曜日、連休初日。
そんな状態で無理矢理新聞を押し込んで押し込めないことはないが、新聞が傷つく可能性は高い。読者が取り出す際も大変だろう。
それならば、いっそのこと折込と新聞本体を分けてしまう。イメージとしては2部ポストに入れるような感じ。新聞本体は厚くても40ページ建程度までだからそれそのものは大した厚さがない。折込もせいぜい3回戦位までで、帯はあるのだから折っておれないことはない。増刷があるなら尚更分離がしやすい。元日は増刷も多い、広告折込も多いが分離はしやすいのだからいっそのこと3分割だってアリ。
しかし分けてポストに入れるといったって、ポスとそのものの容量(容積)が無いと辛い。例えばアパート系ドアポストなんかだといれくちしか無いし、開口面積も狭いから無理かも。
そうだと袋詰めにして何処か目のつくところに置いてくるしかない。
余談3。
新聞はポストの形状とその日の新聞の厚さに合わせて折るものだが、その組み合わせも(このポストならこの折り方でこう入れる)ナンボかしかない。それに配る範囲は限られているし、ポストの傾向だって或る程度は定まっている。
同じ区域をしばらくの期間配っていれば「この家のポストにはこう入れる」と言うのが自然と身についていってしまうもの。代配員が全区域を配るにしたってその数はたかが知れているのだから同じだろう。
だから「このポストにはどう入れよう…」と悩む事はそのうち無くなるのだが、無くなるまでの期間の長さは本当に初心者の時に身につけた折り方・入れ方に因るものだとおもう。
無駄な期間を無くす為にも自分から意識して試行錯誤をする事が必要。
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