FZR250
FZR250 87年式
シャイ二ブラック
96年11月購入
免許を取って初めて買ったバイク。
そもそも免許を取るのにも紆余曲折あったんです。
高校が2月の中ごろで授業が無くなるので、その後新聞配達の予定の自分は、
「バイクの免許が欲しい!」と思ったのでした。そしてまず先生を説得。
先生は許してくれましたが、いかんせん親が認めてくれなかったので、
泣く泣くあきらめ、東京に出てきてすぐに教習所にいったのでした。
そして、教習所に行く、中型免許が欲しいと言うと、
「小型にしておけば?」と言うので尻込みすると、
「どうしても中型がいい?」と聞かれ、「はい」と言ったら、
「ついてきなさい」と言われ、なにやら階段を登って2階へ。
そこは2輪教習の場所で、いきなり軍手をさせられて引き起こしをやれと言われる。
力には自身があったので、とりあえず「むかーしバイク乗ってた人がてこの応用で簡単簡単!」
なーんて言ってたのを思いだしながら。すると・・・
ガシャーン!!
なんと引き起こしを通り越して、バイクは向こう側へ。
その時点で、小型講習が決定になったのでありました。
時は経ちバイクは新聞屋のニュースメイトやカブでなんとか楽しんで乗っていて、
充分満足していまして、配達中に目にしたヤマハの125cc(Y??)が欲しいな〜。
なんて思っていた自分に変化がおこったのは、翌年の6月の事でした。
研修に行っていた就職先が車の免許が条件なんて言うので、
車の免許を取りに通っていたら、教官がたまーに2輪の教官が隣に乗る事がありました。
そして隣で囁きます「中型バイクに乗りたくない?」
さらに「俺が全部責任持ってやるからさー」「1週間で終わるよ〜」
などと悪魔のような囁き。
セールストークはさらに続き、「今ならこの名刺で1万割り引きになるし、
去年の学科も1年以上経ってるけど、うちで取ったんだから無しになると思うよ、
もうすぐ免許制度もかわるし〜」などなど、自分はあっさりと負けてしまったのでした。
その教官はなかなかしつこく、本当に教習ではいやってほど一緒、
本当に1週間で取れてしまいました。
さー中型免許取ったら乗りたくなるのが当然の人の感情。
早速購入したのがFZR250。
本当はNSR250が欲しかったんですが、4stの方が初心者にはいいと聞き、
目標をCBR400にしようと思い、見てみると足が地面に届かない。
そこでCBR250を探す。でも、今度は値段に手が届かない。
ないないずくしで、オフ車など目にも入らない。
(当時オフ車に目がいってればな〜)
オンロードのフルカウルに妙に憧れていたんです。当時は。
足もつきそうだったし。
一緒に選ぶ事に付き合ってくれた義兄(オンロード乗りのアンチホンダ)に
「ホンダにこだわらなければ、こういうのもあるよ」と
ヤマハのTZRとFZRを見たのでありました。
当時メインだったのは、赤/白の外装で、NSRやCBRのような派手さは無く、
ちょっと寂しかったので尻込みしていたところ、最後に行った店に貼ってあった写真に一目惚れ。
そして値段にも一目惚れ。なんと17万5千円だった気がする。
CBRとかと10万の差があり、お買得感がありました。
その日は、そこでやめておき、家に帰ると、どうしてもFZRが忘れられません。
あっと言う間に決心して購入決定!店に電話して、
支店からその店に輸送しておいてもらいました。
購入決定して合計金額は、保険、納車料、こみこみで35万近くになってしまいました。
本体価格の倍になってしまいました。しかしニコニコ現金払いで購入。
クシタニの皮のグローブと、義兄に買ってもらった、タンクパッド、
しかも、なんと品川ナンバーににこにこでした。ま、住んでたのが港区だったんだけど。
住んでた寮の下は単車置き場として充実していて、保管も大丈夫。
バイク便の方も多かったです。(なんでかオフ車が止まってた記憶が無い)
はじめの頃はいろいろ思い出がいっぱいつまっておりました。
バッテリーが初めからダメだったようで、買ってきたその日に、
セルが回らなくなり、義兄に押しがけしまくってもらったり、
田町の駅前で、セルが回らなくなり、カブのつもりで押しがけしようとして、
あっと言う間にこけたり(初めてこけたのは田町の駅前)、
その後、人に囲まれてみんなして起こしてもらったり、
三田警察に泣き泣き「バッテリーがあがっちゃって〜」と相談すると、
白バイ隊っぽい人が、警察の駐車場で強制充電してくれたり。感謝。
コンビニのあんちゃんに手伝ってもらって押しがけして、
就職先のバイトに遅刻したり、このころはたいして乗らなかったんですが、
引越してもバイク置き場には困らず、通勤用として大活躍いたしました。
やっぱり電装バッテリがあっと言う間(1年)でダメになり毎日押しがけ。
実家(名古屋)に下道で帰ってみたり。
途中で転けて赤男爵に応急処置してもらい、実家の近所のバイク屋で、
Fフォークを交換してもらってる間にスクーターで東京に帰り、
再び、取りに戻ったり。さすがに帰りは高速使いましたが。
それなりにいい思い出です。
さてさてこのバイクの最期は、98年11月の終わり頃、
朝、寒く押し掛けしてもぜんぜんエンジンが掛からず、30分くらい押し、
やっとかっかたエンジンが、バイトに向かう途中の環状7号線で煙りを吹き、
近くのガソリンスタンドに行きましたが、その頃にはもう息を引き取っていました。
悲しい最期でした。フォークを代えたばっかで懐も寂しかったのです。
しかし事故じゃなくてよかった、と思っています。
しかも立体交差で地下に入る途中だったので、つくずく場所がよかったと思います。
お金がなかったので分解も修理もあきらめました。
今でも欲しい思い出のバイクです。
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