なぜ、集金か。遅ればせながら。

 もともと、生まれた時からの運命と言う訳ではなく、集金好きになってしまったのには訳があったのでした。
まず、前任者に集金に引き継ぎをしてもらっている時に、(自分の学校はかなり時間割りがきつく、しかも会社ばっかなので、平日にしか集金にまわれない)という事を踏まえて、その前任のMさんは「大丈夫、気合い入れれば3日でやれるから!」と言うではないですか。自分の中では集金がどういうものかすら全く解っていなかった。なので、その言葉は全然理解不能でしたが、とにかく、頑張りさえすれば(きついかもしれないけど)3日で出来るなら、学校が忙しくても大丈夫そうだな〜。って程度な考えでした。そんなこんなで、新聞奨学生になりたての3月の集金は普通の人のように終わったのでした。
 そして、決定的とも思われる事が起きました。それはすぐにきました。次の集金の始まる4月でした。店で、休みの交渉などをしていた時です。自分が病院に行く用事が出来てしまい、それでどうのこうのと考えていた時です。学校が木曜の午後は授業が無い事によって、集金は楽勝に思っていたのですが、病院に行くその日が木曜で、その考えがぶっつぶされました。
参考までにその年の4月末のカレンダー
  月  火  水  木  金 
23 24 25 26 27 28 29 
30  5/ 1    2      3     4     5      6
 
 わかりにくいかも知れませんが、25日に発証されて、月末までに80%やろうとすると、平日は4日しかありません。そのうち木曜日は学校と病院で潰れます。と、言う事は残り3日で回らなければなりません。しかもうちの区域は、3分の2が会社で、夜の住宅を回ったとしても30%なので、必死でやらねばなりません。記憶をたどると、水曜日だかが、1時間目がなかった記憶があります。2時間目は11時から、学校までは自転車で15分なので、それまでの間の9時から10時40分までが勝負でした。とにかく必死にやった記憶があります。終わってそのまま集金袋抱えて学校へ行き、昼休みの1時間集金に費やし、戻って授業受けてまた夕刊を配りつつ集金した記憶があります。とにかく住宅も勝負だったので、それこそ毎日回りました。2回目で全然慣れない中の集金はかなり辛かったのですが、なぜかこの事がいいきっかけで、その後、学校とからめて必死の集金は永遠に続くのでした。
 とにかく、夕刊も会社相手と言う事で、4時半を過ぎないように配らねばなりません。学校は奨学会提携校とは言え、3時間目は15時に終わります。4時間目がある時は、休みをやりくりして授業を受ける事になります、しかしこれが同じ学校の先輩と重なるともう大変。ただ、いい先生もいて4時間目に行われる授業の内容を宿題にしてくれて、それさえやってくれば出席にしてくれるな〜んていういい先生もいました(ありがとう大川先生!)。
 話はそれまくってますが、とにかく提携校なんてうそっぱちで、授業を長引かせる先生に「夕刊です!」と言って帰れる時とそうで無い時など、夕刊が遅れたりとそれなりに苦労していましたが、集金の時はもうそんな事は構わず、2時45分頃に帰ってしまったものでした。先輩の中には風邪と言う事で休み、集金をする人もおりました。

 そんでもって、そんな授業の合間の集金に慣れてしまった体だったので、夏休みに入り学校が無くなった時にいつもの調子でがんがん集金をやりました。そうしたら1日でほとんど回れるようになっているではないですか。前に出てきた前任者のMさんの「3日で〜」と言う言葉が頭をよぎり、思わず「勝った!」とガッツポーズでした。
 そんな事もあり、短期間で回った方が、気分的にも追い詰められなくていいと思い、それ以来そういう集金になってしまったのでした。お客さんからは当時、苦情があったらしいですが、そうこうしているうちに、25日に行かないと、「どうしたの?」などと言う客までいる変わり様でした。店の方の奥さんにはあてにされまくりで、初めの頃は納金の時にびっくりしていましたが、そのうち当たり前になってしまい、あのびっくりした顔を見られなくなり、寂しかったです。
 ただ、自分は何日も集金に費やすのが嫌なだけ。1日死ぬ気でやっといて、あとは全くやらない。ただそれだけです。配達はあんまり好きでもなっかた、ただ、集金が早い(人と比べて)だけ。新聞屋の業務のうち秀でているものが(店から見れば)たまたま集金だったのでした。
 その後就職して、もう一度新聞屋に戻った時に言われたのは「配達はどうでもいい、朝も起こしてやるから、とにかく集金だけは頑張ってくれ」でした。いやはや、自分=集金という方程式が成り立つみたいです。
そんなことがきっかけで、誰もやってないから、と言う決定打も加わりこんなページになりました。
以上。


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